今は実家二階の一室が使えるので、両親と川の字で寝て作業をしている。しばらく書けなかった。ストレス障害というものになったらしい。一日五回ぐらい来る、乗り物酔いをした感じ、時間の感覚が分からない、言葉が上手く出てこない、とか。こんなに一気に知り合い、親族とお別れするなんてありませんから。今も実家から仙台に仕事に通う形。職場の人に大丈夫?と聞かれても、大変だけど辛いのは自分だけじゃないからって言ってた。津波が来た所とそうでない場所はパッチワークの柄が違うように景色が変わる。質問されて答えても、泣いてしまうから口に出来なかった。でも、避難所にいる同級生や友人やご近所さんといっぱい泣いたら、少しだけおちついた。
小さな学習等に102人寝泊まり、2畳ぐらいの所に子供いる家族だとそこに4人眠る。100人いるのに洗濯機は2台、大変だ。寝泊まりを避難所でしていない帰宅避難者は洗濯機がつかえないから、私が仙台にきて、両親の衣類を洗濯する。じゃあ帰宅避難者でそういうつてが無い方は?9人家族でも手で洗っている。電気は通ったけれど、洗濯機を買いに行く電気屋が無い、車が無い。だから手で洗う。
ありがたい事に、ここの避難所では帰宅避難者にも温かいみそ汁とご飯が三食いただける。かけ湯だけれどお風呂にも毎日入れる。自衛隊さんって皆は敬意をはらってそうよびます。20才ぐらいの隊員の方が作るお味噌汁、びっくり!ごぼうの輪切りのみそ汁。みんなゴリゴリて音立てながら食べて、そして笑って誰も不満なんて言わない。先週はカレーに入れるぐらいの大きさの人参とほうれんそうの味噌汁!具の組み合わせはたまにびっくりする時もあるけれど、明かに美味しくなっているのは、腕をあげている証拠だね。子供達も肩車や、だっこして遊んでもらって 子供の笑い声が聞こえるのは良いことです。最近は避難所でも冗談を沢山言って、笑ってます。笑うしかないっていってたけど、なんだか分かる。
写真は母校の小学校。
気になっているのは、家が完全に崩壊してしまった人の心のケア。両親は、漂流物や瓦礫や泥の撤去、畳を出して、ヘドロをスコップですくい、石灰をまく。やることは沢山あるからまだよい。家から道路二本先では、もう崩壊してるから、全くてがつけられない。まだやることがある方が楽って言ってた。
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