父の知り合いが両親を仙台まで送ってくれたので、11日に無事の二文字のメールから音信不通だった東松島の両親と昨日夜会えた。話を聞くと6メートルまで津波がきて二階に避難し助かったそう。町内でも本当に多くの方が亡くなったから本当に幸運だった。ただ祖母の安否がまだわかっていない。
昨日はじめて地震後に実家にいった。あまりのそのひどさに 私は仙台から向かう車の会話は徐々に減り 実家近くでは言葉を失う。車が重なり合い、庭には見たことのない家具や材木、家の木にはどこかで飼育していただろう 鶏がかかっていた。ほぼ皆ライフラインの無い避難所生活。両親の避難所では 再開の嬉しさで抱き合うシーンもあるが、その隣では500体の遺体が運ばれてくる。本当に今回の件で生きるって何か、そして私自身にも考え方が何か変わったと思う。とにかく実家をみたショックは大きいけれど、皆が被災者、気持ちを強くもってがんばらなければとも感じた。今日は 津波から免れたシャンパンを実家から持ち帰り家族で飲もうと思う。 またいつか実家に笑顔で過ごせる日がくる事を願う。